Pick up vol.2

生・老・病・死ー老いと死を考えるー

 

第2回は、修行会員、超老さん のブログです。

肉体の死と魂について、哲学や死生学など、様々な書籍を通してこれらの宗教観、魂の捉え方などを紹介されています。

多くの書籍を紹介されていますが、この中で気になる記事を独断と偏見でピックアップしてみました。

◆シュタイナー◆

まずブログ初期の頃に頻繁に登場するこの神秘学者シュタイナー。

知らない方も多いと思いますが、記事を読むにつれ普通の学者さんではないことがわかります。

 

死生感がかなり霊的であることから、只者ではないと思い始める頃・・・

 

「彼は、生まれながらにして霊的な存在を感知する能力を備えていたようです。」

 

なるほど!と納得してしまうのです。

 

更に興味深いことに、

 

「教えを受けた導師から40歳になるまでは、霊的な領域で指導的な立場

に立たぬよう忠告を受けたため、哲学や自然科学の研讃に励み、学者、文筆家と

して活躍し、そののち、時代の支配的な文化から決別し、神秘思想家として霊的

内容の伝達という使命に邁進したと言われています。」

 

という。

霊的な伝達者であったことに息を飲みます。

 

『 霊的知覚者であったルドルフ・シュタイナーは、そのまま神秘家として世に出ても奇異な人物としてしか見られず、とても受け容れられないと考えて、できるだけ多くの人に訴えるために、自然科学や哲学、その他多くの学問を学び、それらとできるだけ矛盾しない形で理論化し、世に訴えていったのだろうと思います。

 

しかし、そのことはシュタイナーの主張全体の客観的な正しさを保証するものではないと思います。霊的な認識や判断はミスがつきものですし、彼自身の希望や理想が反映されていると思われているところもあり、伝統的な考えをそのまま踏襲しているところもあるように思われます。

 

また、彼の主張は、我々日本人から見ると、自我、自我意識というものに強くこだわっているように思います。東洋のように自我を抑制したり否定したりせず、自我意識そのものを進化させようとしたようです。

 

よって、東洋の霊的な価値というものを大いに認めながらも、東洋の非主体的な、受動的な姿勢をというもの、たとえば、神懸かりや、それによる霊魂通信といったものを低く見ていたのではないかと思われます。

それがシュタイナーの、ひいては西洋の神秘学の特徴であり、限界でもあろうかと思います。 』

◆プラトン◆

哲学といえば、現代では正義・徳・善を理知的かつ執拗に追求していく学問であると、一般的に認識されているのではないでしょうか。

 

しかし、このブログでその考えが一転します。

 

古代ギリシャでは、著名な哲学者ソクラテスが弟子達との問答で「魂の不死」について語られています。

 

「死とは、魂の肉体からの分離に他ならないのではないか。すなわち、一方では、

肉体が魂から分離されてそれ自身となり、他方では、魂が肉体から分離されて、

それ自身単独に存在していること、これが死んでいるということではないか。」

 

「哲学者は他の人とは際立って異なり、できるだけ魂を肉体との交わりから解放

する者であることは、明らかだね。」

 

「もしわれわれがそもそも何かを純粋に知ろうとするならば、肉体から離れて、

魂そのものによって事柄そのものを見なければならない、ということである。

その時こそ、思うに、われわれが熱望しているもの、われわれそれの求愛者で

あると自称しているもの、すなわち知恵がわれわれのものになるだろう。」

「魂の不死について-パイドン-」から抜粋

 

プラトンの宇宙論では

「そして、さらに、本書の目的が、「人間の本性」を自然世界の中に位置づける ためであったということですから、どのようにして合目的的な身体が構成された かについて語られていくわけですが、結論として、身体と魂との均衡が重要で あるとして、魂の訓練と、身体の訓練の両方の必要性を説き、これらを教導する 主体である「魂」に養分と動きを与えることが大事であるとしています。」

 

という、霊魂学としても通じる内容になっています。

現代の哲学より、ずっと興味をそそられます。

 

『 古代のギリシャ人の関心事はあくまで現世であって、死後にはほとんど関心を抱いていなかったようですが、デオニュソス神を崇拝するオルフェウス教という異質な宗教が外部から入ってきたことにより、彼岸、死後の世界に目を向けるようになったようです。

 

ルドルフ・シュタイナーや井筒俊彦という学者によると、ソクラテスやプラトンも、このような密儀宗教の秘儀を体得した人であり、哲学者である前に神秘家であったとしています。つまり、当時、宗教と哲学は不可分の関係にあったということです。

 

秘儀参入によって霊的真理を会得し、かつ、そこにとどまるのではなく、現実世界に舞い戻り、真理そのものの具体化、実践を説くのが本来の哲学だということになるようです。 』

◆中沢新一◆

「神道の可能性」から抜粋

「折口信夫は、神道学者でもありました。

独自の「神」観を展開してきた彼は、 中沢新一氏によると、

太平洋戦争の敗北をきっかけにして、日本の神道が歴史 の中でたどってきた発達の道は、

果たして正しいものだったのだろうか?
日本人の土着的な信仰から成長してきた神道は、

ことによると自分の中に潜在 している可能性を抑圧することによって、

のびのびとした自生的展開をとげて こなかったのではないだろうか?このような大きな問いを自分に課すことに なったというのです。」

 

なかなか興味深い内容です。

神道は、日本古来から続く、日本独自の信仰です。

本来は、自然で素朴な、人間の本質に元づいた高度な信仰だったのであろうと思われるからこそ、現在の神道の有り方に落胆を隠せません。

 

『 折口信夫という人は、戦後、日本神話に登場する造化三神のうちの高皇産霊神と神皇産霊神、いわゆるムスビの神に注目し、新しい宗教としての神道をもう一度作りなおされなければならないと考えたようです。

 

つまり、魂と生命と物質を結びつける働きをするというムスビの神を未来の神道の基礎にすえることにより、神道は政治的なイデオロギーから自由になって、ほんものの宗教的情熱の源泉になることができるというのです。

 

しかしながら、現実的には、そのような展開には至っていないように思われます。 』

◆サイト主へのインタビュー◆

多くの思想を学んでこられた超老さんから見た、「水波霊魂学」を紹介頂けますか?

 

『 様々な神秘学や霊学などの書を読んで、まず思うことは、そこに人間の願望や希望が反映されているとか、どこか、この物質世界の現象や法則などが投影されているという印象を受けるとか、また、過去に誰かがどこかで述べてことをそのまま踏襲しているといった感じがするということです。

 

しかし、水波霊魂学の場合は、そのようなことは全くないばかりか、とても人間の頭脳で考えられることではないという印象を受ける内容が多々あります。なかには厳しい指摘もあり、受け入れたくない、触れられたくないと思うこともありますが、私は、それだからこそ傾聴すべきではないかと思っています。

 

その主張の真偽は、科学的に証明できることではありませんが、なぜか、ずっと私の心の奥底に強く響き続けています。真理とは、決して耳触りのよいものではなく、とても口に苦いものではないかと思います。 』

 

ありがとうございました。

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