霊魂学カフェテリア Vol. 33 - December 2017

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  霊魂学カフェテリア
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   February 2018

人間ってほんとは何なの?
私たちの正体って何?
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霊魂学カフェテリアへようこそ!

霊魂学の耳より情報を、
新しい風に乗せて、お届けします!

♪ほんの少しの時間、
ひと休みしていってくださいね♪

 

【目 次】
(1)ごあいさつ
(2)霊魂学を読もう!
(3)霊魂学 de オフロード
(4)Q&A 聞いてみよう
(5)スピリチャット
(6)もっと探索-ご案内
(7)あとがき

 

■■  ごあいさつ

「寒けれど
富士見る旅は 羨まし」 
-正岡子規

暦の上では春、けれどまだまだ衰えぬ寒さが続きます。

皆さまいかがお過ごしでしょうか。

さて冒頭の句、どのような光景が浮かんできたでしょう?
(心理テストではありません)

霊魂学徒にとって、富士は特別な存在です。

物質の富士、霊的な富士、真の富士。

思いはそれぞれ様々でしょうが、富士は憧れであり希望でもあると思います。

富士を見る旅、それはいったいどのような旅なのでしょう。

 

■■  霊魂学を読もう! 

「死後まで続く幸福のために」
水波一郎著
アマゾンオンデマンド
ペーパーバック 152頁
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アマゾンにて好評発売中!

「現代は霊的障害社会です。

社会に競争がある限り、それは変わりません。

ましてや、無神論者が増え、神や霊魂を信じる人がバカにされるようでは尚更です。

普通の人が普通に生きていれば、大抵の人が何かしら霊的な不調を抱えてしまいます。

そうであれば、これからは普段の簡単なトレーニングで霊的障害を防いだり、改善したりする事が求められるのです。」(本文より)

 

誰もが持っている幽体という体、けれどほとんどの人が知らずにいる幽体という体。

見えないから、感じないから、知らなかったから・・・ではもうすまされない。

悔いのない人生を送るためにも、今、幽体を知ってください。

◇霊魂学シリーズ、アマゾンにて好評発売中!
http://amzn.to/2DX7os6

※ 読後感想文、コメント大歓迎!
より多くの方に霊魂学を知って頂きたい、著書をお薦めしたいと思われる方は、是非、アマゾンのカスタマーレビューに投稿してみてください。

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著書紹介ページにあるカスタマーレビューから、「レビューを書く」を選んでください。
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■■  霊魂学deオフロード 

このコーナーでは、長年霊魂学を学び、霊的トレーニングを実習されているタニグクさんに、霊的なことに関する様々なトピックについてお話して頂いています。

タニグクさん独自のアプローチと見解は、時に霊魂学の枠を飛び越え、オフロードに乗り出す面白さ。今回も、とっておきのお話をお届けします。
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「もうひとつの流れ」

「神伝禊法」には日本以外に、もう一つの禊の流れがあったことが示されています。

真の意味での禊かどうかは知りませんが、海外には沐浴、洗礼と呼ばれる宗教的儀式が伝わっているようです。

また儀式ではありませんが、大乗仏教が描く死後の世界にも一部真実が見え隠れしているように思えるのです。

興味深いことに三途の川と言われる表記は日本の神話でイザナギが禊をされた三瀬川からの転訛であるらしいのです。

そして三途の川にはイザナギが衣服を脱ぎ捨てる描写とは異なり、無理やり衣服を脱がす奪衣婆がいるのも面白いですね。

さて、さらに注目したいのが、その三途の川を渡った後なのです。

十王経と呼ばれる中国が起源(お決まりで、かなり話を盛っているか?)の経典によると、十王と呼ばれる王達に裁判を受けることになるのですが、十王の中でも有名な閻魔大王は人間の祖とされるインドのヤマであり、さらには北欧神話で人間と巨人の祖とされるユミルと同じ語源でもあるらしいのです。

閻魔大王の宮殿には水晶で出来た九つの鏡があり、生前の悪行を映し出すとされているのですが、閻魔大王が人間の祖であり、それを水波霊魂学で言うところの霊的生命体の本質としての「霊魂」の擬人化であると解釈すると、その九つの鏡は人の霊的本質へと至る鎮魂法の階梯を示しており、またこの国の神話において、天孫降臨の際に自分だと思い祀れとアマテラスから渡された八咫の鏡に通ずるものがあるとも思われます。

恐ろしい地獄の話であるはずが、まるで神社に参拝するときに手水舎で清め御神体としての鏡へと至るシステムと同様なものを感じざるを得ないのです。

おそらく神伝禊法とともに神伝鎮魂法の指導霊団も、このもう一つの流れを汲み新しい体系としての神伝の法のためにご協力して下さり、“今ここ”にあるのでしょう。

『神伝禊法』にもあるように、「真に高貴な霊的存在から、人類の為に降ろされた神秘の技法」「それが世界中の人達の常識になること」本当に願っています。

『死後まで続く幸福のために』にある「深遠な目的」の為に…

 

 - by タニグク

 

■■  霊魂学Q&A 聞いてみよう!

Q: 心が強いと霊に憑かれない?

A: 時折、自分は心が弱くないから霊には絶対に憑かれない、という人がいます。

しかし、これは、実は間違っています。

つまり、霊に憑かれるのは心が弱いからなのではないからです。

もし、仮に心の弱い人が霊に憑かれるのであれば、落ち込んでいる人は霊に憑かれやすく、元気な人は霊に憑かれにくい事になります。また、プロスポーツの選手などは根性があるので霊には憑かれない事になります。

ところが、現実はそうではありません。

精神力が強く弱音を吐かない人であっても霊は憑きますし、人生に疲れて何事も消極的に考える人であっても、霊が憑くとは限らないのです。

ある時、こんな事がありました。(私=PC版「霊をさぐる」の管理人・と金さん)
(当事者が読むと困りますので設定を少し変えてお話します。)

私の友人が霊について知りたいというので、私はHPの管理者と打ち合わせをする席に、2人の友人を同席させました。

友人の紹介で、あるレストランで食事をしていた時の事です。友人の1人が監修者にこう聞きました。

「誰が霊に憑かれているか分かりますか?」

その時監修者はこう答えました。

「すぐ近くにそういう人がいますよ。もちろん、他人のプライバシーに踏み込む事は出来ませんけれども。」

「えっ。するとこのお店の中にもいるのですか。」

「もちろんです。」

店の中は心地よいBGMが流れていて隣の席の人の声でもほとんど聞こえません。それでも、こちらの会話は自然と小声になりました。

「誰ですか。」

友人がそう聞くと、監修者は何も言わずにそれとなくそちらを示しました。もちろん、私達にしかわからないように、さりげなく指し示されたのです。

相手の人に気付かれると失礼だからです。その人は監修者からは前面、友人からは背面にいました。

後方に気付かれないように相手を確認した友人は、他の人達に分からないように話を進めました。そして、こう言いました。

「霊というのは、自分の事を見抜かれても平気なのですか。」

監修者が答えました。

「いいえ、見抜かれたと分かれば慌てますよ。普通はそんな事はまずありませんからね。見抜かれたとなれば、よほどの大物だと考えて、すぐにでも逃げようとしますよ。」

友人は更に聞きました。 

「では、こちらが見抜いたと知ったら、ここから消えますか。」

「多分ね。ただ、人間の中にしっかり入っていると、自分だけとはいかないでしょうけどね。」

「どうなるんですか。」

友人の問いに監修者は答えました。

「すぐに分かりますよ。」

それから10秒もたったでしょうか。その霊に憑かれた人は急に席を立ちました。そして、トイレに行き、戻って来たかと思うと、そそくさと他の人を促し店を出てしまいました。

その人達にこちらの会話は聞こえているはずもなく、実際、その人達は1人もこちらを意識している様子がありませんでした。

何しろ、向こうもニコニコと会話をしていて、私から見ると帰る様子もなかったのですから。

友人が言いました。「あの人はどうなるんですか。」

監修者が言いました。

「おそらく霊魂を信じていない人でしょう。それに、自分に自信がありそうなタイプに思えました。ああいう人は救いようがありません。自分に自信があると、霊なんているものか、そんなものいたとしても、俺には憑かない、そういう風に言う人が多いですからね。」

「では、不幸になるのでしょうか。」

監修者は答えました。

「絶対にとは言えません。でも、完全に入られていますから、たぶん霊魂の思うような人生になるでしょう。」

私たちはシーンとしてしました。

霊魂が入りやすいか否かは、心の強弱ではなく、「幽体」という、肉体とダブった身体や、幽体から発するオーラ、そういった霊的な要素を考えなければならないという事でした。

心は強くても弱くても、誰でも霊魂には憑かれ得るのでした

 

「霊から身を守る」霊をさぐる(携帯版)より
http://reisagu.blog.fc2.com/blog-entry-9.html

 

■■  スピリチャット

「鬼」

2月と言えば、節分。春が来る前に、日本人にとっては、馴染みの深い年中行事です。各家庭や神社仏閣では「鬼は外、福は内」と言いながら豆を撒くのが一般的です。

でも地域によって「鬼は内、福は内」と言いながら豆を撒く所も有るようです。つまり、そこから鬼は、必ずしも悪者では無い事が窺えます。

鬼とはいったい、どういった存在でしょうか?ひとくちに鬼と言っても、地獄の獄卒であったり、神や聖人のお使いであったり、神そのものを指す事も有るようです。

「鬼」という用語も、その地域や人によって、定義するところが異なるのでしょう。同じ「鬼」という言葉を用いながら、別の存在を指していると思われます。

「鬼(おに)」の語源とは“姿の見えないもの”を指すようです。「鬼」という言葉が、それぞれ別の何かを指していても、目に見えない存在である事だけは共通しています。

人は、様々な場面に於いて、言葉のマジックに騙されたり、翻弄されたりします。

ある言葉の奥に有るものが、深い愛に基づいたものなのか、残虐で冷酷なものなのか、それを、しっかり吟味する必要が有ります。表面の甘い言葉、上手い言葉ばかりに乗っていては、いつかは痛い目に会ってしまうでしょう。

霊的世界は、上に行けば行く程、この世の常識が当てはまりません。肉の脳を遥かに超えているからです。

故に高い世界の存在は、ひょっとすると、人から見れば、物凄く、恐ろしい姿に見えるかも知れません。優しい、慈悲深い姿を想像するのは、あくまで人間側の希望であり、勝手な想像でしかありません。

例えば、仏教で言えば、非常に怖い姿をした仏様が多数、居らっしゃいます。しかし、どんな姿であれ、その根底には、慈悲や深い愛が流れていると言えます。見た目が怖いからといって、決して、悪霊のような残虐な存在ではありません。

大切なのは、どのように見えても、どのような姿で有っても、恐れる事無く、また軽んじる事も無く、その本質を感じ取る事だと思います。

言葉の裏や行間を読み取るのは、人生経験が深ければ可能と言えます。しかし霊的な本質を見抜くには、やはり、霊的修行法(霊的トレーニング)を行ない、霊的感性を養っていないと、いくら力んでも、いくら心を澄ましても限界が有ると言えるでしょう。

少なくとも、死後、自分を迎えに来た存在が、もし本物の高級霊魂で有って、どのように見えたとしても、そうした存在を否定し、拒否する事だけは無きよう、日々、自身の霊的な感性を磨いておく必要が有ると思います。

 

※ 鬼の深い愛について、ドーンさんが紙芝居の動画を作成されています。渾身の大作。是非、ご覧下さい。 https://youtu.be/FP3RqD0Yz0I

 

- by UT

 

■■  もっと探索・リンク・入会ご案内

◇ 水波霊魂学 - 霊を知って人を知る
霊魂学関連HP・ブログ・動画などを一堂に集めたページです!
http://kouhou-keizankan.jp/

◆ 水波霊魂学が案内する霊魂研究への旅
→ URL:http://reikonkenkyu.hatenablog.jp

◇ 霊魂学と修行の会・契山館-入会ご案内
http://reikon.lar.jp/index.php?nyukai

 

■■  あ と が き 

年明けに出版された「死後まで続く幸福のために」、中ほどに「日帰りで習えるような技法」について書かれている箇所があります。その一文を読んだ時、素晴らしい!という思いと同時に、驚きと緊張が走りました。

霊魂学が、さらに広く門戸を開け、人々に呼び掛けている。気にもかけずに素通りしてきた人々に、さらに声を上げ、大きく手を広げ、呼び掛けている。時代はそこまで来ているのだろうかと。

「神体」(水波一郎師著)の中で、「初めの地」が海に沈む直前まで、そこに暮らす人々に必死で避難するようにと呼び掛けていた使徒たちがいました。それでも聞く耳を持たない人々は、最後の瞬間まで気づくこともなく消えていったのです。

霊魂学は地上に生きる人々が命を長らえるためにあるのではありません。けれども生きているうちにしかできないこともあるのです。霊魂学が生かしたいのは、肉体の死を超えて永遠のごとく存続する幽体の将来。苦難や絶望に囚われることなく霊的生命体としての進歩に邁進できるような将来、それを願っているのです。

日帰り研修といった新たな企画によって、より多くの人々が立ち止まり、方向転換し、霊的進歩への第一歩を踏み出すことができますようにと願います。

 

では今回は、これにて。

あなたの心に、新しい風が吹きますように、と願って。

また次回、お会いしましょう!

 

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