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霊魂学カフェテリア
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November 2018

人間ってほんとは何なの?
私たちの正体って何?
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霊魂学カフェテリアへようこそ!

霊魂学の耳より情報を、
新しい風に乗せて、お届けします!

♪ほんの少しの時間、
ひと休みしていってくださいね♪

【目 次】
(1)ごあいさつ
(2)霊魂学を読もう!
(3)霊魂学 de オフロード
(4)Q&A 聞いてみよう
(5)霊魂学徒の考察
(6)もっと探索-ご案内
(7)あとがき

■■ ごあいさつ

「名月をとってくれろと泣く子かな」
- 小林一茶

深まる秋、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

子供の感性って、戸惑うほどにストレートだなと感じます。

大人になってしまった今では、経験や知識、常識や世間体など、生きていく上で役立つはずのものが、重荷のように感じることがあったりもします。

時にほんの少し、なんにも持たず、何に囚われることもない人 (のつもり) になって、自分という人間の意味を問うてみるというのも面白いかもしれませんね。

■■ 霊魂学を読もう! 

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「二本足の霊魂:人間と霊魂の歴史」

「幽体の悲劇:人は幽体と共に生きている」

「龍:霊魂の世界から舞い降りた霊力」

「神体:偉大なる魂の生涯」

「神伝禊法:新時代の霊的トレーニング」

「霊魂研究へのいざない:死後の世界や霊魂について学ぶには」

「死後まで続く幸福のために:霊魂や低い幽気の悪影響を防ぐ」

「ネコの死後はどうなるの?:ニャンコの救世主」

※ 読後感想文、コメント大歓迎!
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■■ 霊魂学deオフロード 

このコーナーでは、長年霊魂学を学び、霊的トレーニングを実習されているタニグクさんに、霊的なことに関する様々なトピックについてお話して頂いています。

タニグクさん独自のアプローチと見解は、時に霊魂学の枠を飛び越え、オフロードに乗り出す面白さ。今回も、とっておきのお話をお届けします。
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「まつり」

ここ数年、日本ではハロウィンが市民権を得そうな勢いとなっています。

経済効果を謳うメディアと企業の陰謀ではないか邪推したくもなるのですが、そこは水波霊魂学徒、霊的側面からこの異国の祭がブームとなりつつある現象を読み解いてみたいと思います。

このお祭では、某テーマパークの影響でしょうか、お手軽に低予算で仮装できるせいでしょうか、ゾンビのコスプレで街中を徘徊する人が多いようです。

当会の多くの会員さん方が指摘するように、もしかしたら、そのゾンビ達は現在の地上の霊的事情を反映しているのかもしれません。

地上に現れた邪霊達、その影響で低い幽気を付着され、幽体がボロボロになり、さらには身体内に入られても気がつかない地上の人達。

もしかしたら、お腹から顔や手が出てたりしているのかも…

幽体の眼に映るのはまさにゾンビ映画、いえ、それ以上に酷い光景なのかもしれません。

さて、なぜゾンビにこだわるのかと言いますと、ゾンビはキリスト教の復活思想と関係があるのではないかとにらんでいるからなのです。

何でも死者は最後の審判の日に肉体を持って復活すると信じられており、その為に土葬の割合が多いとか。

ゾンビ映画等の流行は土葬された死体が腐敗していく状態で復活してしまう恐怖を無意識に表現しているのかもしれません。

そこで、かつて神人文明の栄えたこの地に住む日本人は、腐ってる途中で復活するのなら、いっそ火葬され、フェニックスのごとく灰の中から再生(復活)する方がスマートですよ~、と仮装しながらダジャレで火葬を薦め、復活思想は霊的に間違っていることをキリスト教徒に伝えているのでした。

てのは嘘で、既に江戸時代のお祭りでは仮装して騒いでいたことが浮世絵等に残されているのです。

何と変わらない、この国民性よ(笑)

ならば、いっそ神人文明で行われていたという祭(神体参照)にまで遡れないものであろうか?

いや、信仰心無き祭を『まつり』と呼んでよいものか…

深まる秋と共に水波霊魂学徒の悩みも深くなっていくのでした。

- by タニグク

■■ 霊魂学Q&A 聞いてみよう!

何を信じるのかよりも、どう生きるか、それを大切にする人達が増えている。

しかし、その考えは霊的な成長に逆行する。

どう生きようと、それはその人の自由である。

霊的成長にとって大切なのは、本物の高級霊魂に念を発し、高級霊魂の気を吸収しうるか、あるいは、偽者の高級霊魂に念を発し、邪気を吸収してしまうか、といった点である。

「霊は語る(9)」
http://reisagu.blog.fc2.com/blog-entry-365.html

「 心の質で高級霊魂の目に止まるのか?」

Q 精神が成長し、愛が深まっても、霊的レベルとは一致しない、ということになりますと、高級霊魂は愛が深い人に寄ってくるとは限らないということになりませんか。

A そのとおりです。

高級霊魂が寄りやすいのは、あくまでも霊的な状態が基準なのであって、地上的な人格とは無関係です。

たとえば、ある人が熱心に神や高級霊魂に祈ったとします。だからといって、その人が高級霊魂を呼ぶに相応しい幽体オーラを発していなければ、決してその祈りが届くことはないのです。

霊魂は物質の世界には生きていません。私達が霊魂の姿を見ることができないように、霊魂も私達の姿がはっきりと見えるわけではないのです。

当然のことながら、霊魂には霊的なものの方が見やすいのです。ですから、まず霊魂の目に見えるのは何かといいますと、地上の人間の幽体オーラなのです。

このオーラの質が高いか低いかが問題になるのです。

質が低い、つまり質が良くないオーラでは高級な霊魂の目にはとうてい入らないのです。

高級霊魂を呼ぶためには、何よりも、この幽体オーラの質を上げることが先決なのです。それをせずにどんなに長く祈っていても、その祈りが高級霊魂に届くことはありません。

実は、世界中の人々が平和を祈念しても、高貴な霊魂に届くことはないのです。

私達はともすると、高級霊魂は私達の思いをすぐに理解してくれると思いがちです。ところが、実際はそうではないのです。

霊魂は24時間人間にぴったりと付き添っているわけではないのです。守護霊や指導霊であってさえ、皆、それぞれに他にやるべき事を持っています。

たとえば、指導霊などは、複数の人間の指導を掛け持ちしている霊魂もかなりいます。ですから、人間が寝ている時まで常に側にいるわけではありません。

人間が学校に行っている時、守護霊はどの学校であるのかは探り当てたとしても、その中から自分が担当する人間を見つけ出すことは至難の技なのです。

クラスに40人いたとしても、それぞれの人が雑多な思いを発しています。この中から、どれが自分が担当する人間なのか、それを探り当てるには、その人間がよほど特徴のあるオーラをしていないと難しいのです。

私達は霊魂を特別な存在と考えがちです。でも、考えてみれば、誰でも皆、以前は、地上で生活していた私達の先輩達なのです。

先輩達は物質の肉体をなくして幽体の存在になったために、私達とは接点が持ちにくくなっていたのです。

ですから、地上の人間が、大勢の人達がてんでに会話している内容を全部理解することができないように、霊魂にしても、無数に飛び交う人間の想念を、全て分析して理解することなど不可能なのです。

その上、物質の脳を使って放たれる人間の想念は、霊魂達の想念とは少し違っているようで、愛が強かろうと弱かろうと、肉体を持たない霊魂の知覚には、なかなか感じ取れないらしいのです。

また、何とか、愛の深い想念の主を発見した霊魂がいたとしても、その人の幽体オーラが高級霊魂が接近するのに相応しくなければ、なかなか交流することができないのです。

つまり、実際には守護霊、指導霊も、地上の人間を担当はしたものの、なかなかその人間と交流できないのが現実なのです。

だからこそ、幽体オーラの質の向上が大切なのです。

それには、霊的トレーニングが必要だ、と高級霊魂達はしきりに訴えて来るのです!

「心の質で高級霊魂の目に止まるのか?」霊をさぐる(携帯版)より
http://reisagu.blog.fc2.com/blog-entry-115.html

■■ 霊魂学徒の考察

日常の、身近なものや出来事、諸々を、霊魂学徒の視線から考えます。
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『恋い慕う』

人は、大概の方が一度や二度は、異性に対し、恋をする体験は有るのではないでしょうか?

片や、多数の人に言い寄られて困る人も居れば、片や、恋に破れ、胸が張り裂けんばかりの気持ちに成る方も居るかと思います。

恋というものは、お互いの自由意思が合致しなければ、成就しないので、この世の人間にとって、悩み・苦しみの一つであり、人によっては、命を絶ってしまいたい程、大きな苦しみを抱える方も居らっしゃる事でしょう。

また相手を思う気持ちの強い時は、命を掛けて相手を守ろうとする事も有るでしょうし、その昔には、一人の女性を巡り、二人の男が命を懸けて決闘をする事も有ったようです。

それほどに、真剣に恋をしている時の気持ちは強いものが有るのでしょう。

そしてお互いの自由意思が合致した人達は幸いです。

暫くの間は、人生最高の幸せと感じるでしょう。

しかしながら、やがて馴れ合いの恋愛に成っていき、人によっては、新しい刺激を求めて走ってしまう人も有るようです。

勿論、中には、この世を去るまで、仲睦まじく添い遂げる方も居らっしゃるかも知れません。

いずれにしても、あの世では、どんなに仲睦まじかった夫婦や恋人も同じ世界に入るのは、かなり難しいようです。

それは、心の良し悪しでは無く、幽体の健康状態によって、耐える事の出来る霊的な光の強さが異なるからです。

上の世界程、光が強く、下の世界程、光が弱いのです。

男女の永遠の愛や恋というものは、難しいのかも知れません。

ならば、永遠の愛や恋は何処にも存在しないのでしょうか?

これは例え話しです:

絶海の孤島にお城が有り、そこに神様が住んで居らっしゃいました。

そこは、外洋の荒波に囲まれ、時に嵐も吹き荒れ、容易に渡れる島ではありませんでした。

人々は、まだ見ぬ神を恋い慕い、なんとか海を渡ろうと試みます。

手漕ぎボートで渡ろうとする人が居ます。たらい船で渡ろうとする人も居ます。なんと砂の船で渡ろうとする人も居ました。

皆んな、想いは純粋でした。想いは真剣でした。しかし、残念な事に大洋を渡る為の知恵が足りなかったばかりに、大きな波に呑み込まれてしまうのです。

更には、神を信じないばかりか、利用しようとする人達が現れました。

その人達は、なるべくお金を掛けず、寄せ集めの材料だけで、手抜き工事の船を作り、この船で神の島まで行けると、多くの人々に宣伝し、たくさんの人を乗せて送り出しました。

その結果、船は荒波に耐える事が出来ず、多くの人が海の藻屑へと消えていきました。

それでも、時として、難破しながらも、漂流して神の島まで辿り着く人も居ました。

そうした人は、良く来たと、無条件で神様に受け入れられ、愛されて、神様のお側に置いて頂く事が出来るのでした。

しかし、それらは、たまたま運が良かっただけで、あまりに無謀で、生きるか死ぬかの博打だったと言っても過言では無いでしょう。

何しろ殆どの人が、海の底へと沈んでいったのですから...。

ある時、ある方が、人々に、大海をたくさんの人を乗せ、高速で海を渡れる船の建造を指導しました。

そして、その方が船長と成り、神の島へと出航しました。

しっかりとした、設計で造られた船です。そして、船長の航海技術は確かなものでした。多少の嵐でも、びくともしません。

遥か遠くに神の島が見えて来ました。目には見えないけれども、何故か眩しく感じます。そして、清々しい優しさに包まれていくような感じが伝わってきます。

それは、何故か、目を閉じていても同様に感じるのでした。

やがて、全員が無事に神の島へ辿り着きました。

気づけば、船長が居ません。何処へ行ったのでしょう?

その代わり、大勢の臣下を従えて、お城から出迎えに来てくれた神様のお姿は、なんとあの船長なのでした。

あまりにも、まばゆく神々しいバイブレーションが伝わって来ます。

その眼光は、どんな悪をも射すくめる鷹のような眼光で有りながら、その奥に深い優しさを秘め、凛とした厳しいお姿の中にも深い愛が響きとして、伝わって来ます。

神様自らが、島へ辿り着いた一人一人の手を取りながら、城の中へと引き入れて下さります。

何故か、力が満ち溢れて来るのでした。涙が流れて来るのでした。

全員、自然に頭が下がり、神の御前にひれ伏します。

ただ、そこに居るだけで、幸せなのでした。他に何も必要無いのでした。

お城の中は、不思議な事に、広い広い世界が広がって、たくさんの人が神様に仕え、そして暮らしているのでした。

神様は、辿り着いた全員を無条件で愛し、受け入れてくださり、お城の中で、神の愛、神の光に包まれながら、何の心配も無く暮らしていけるのでした。
ーーーーー

世の中には、神も仏も有るものかと言う人が居ます。神は、何故、私を救ってくれないのか?と言う人も居ます。

しかし、真の神や高級霊魂は、真剣に求めて、わざわざそこまで来た者を見捨てる事は有りません。

実は、人間の側が、全く神や高級霊魂のお傍へと近づいては居なかったのです。

神や高級霊魂のお傍に近づく為の知恵や方法を学ぶ必要が有るのでした。

私達は、神によって降ろされ、神によって示された、「神伝の法」こそが神や高級霊魂のお傍に近づく為の最良の方法と考えます。

科学は発達しても、霊的な環境が悪化した現代では、単純な祈りでは、高級な霊魂に、その想いは届かず、目を閉じるだけの単純な瞑想では、霊的な危険しか有りません。

勿論、多くの方が、真剣に求めていらっしゃるに違い有りません。

しかし、目に見えない世界ほど、正しい知恵や技法を学ばないと、落とし穴に落ちてしまうのです。目に見えない世界だからこそ、何よりも難しいのです。

神を求め、道を求めたつもりが、いつの間にか魔道に陥っていたという事は良く有る話しです。安易なものに手を出す事だけは、厳に慎むべきと言えるでしょう。

とは言え「神伝の法」としての「神伝禊法」や「神伝鎮魂法」は苦行のようなものでは無く、女性でもお年寄りでも出来る、神によって作成された、誰でもが霊的な真実に至る事の出来る、愛の法と言えます。

神や高級な霊魂方は、いつも一方的に、人類に愛の眼を向けられて来ました。

それを拒否して来たのは、いつも人類でした。

今こそ、高貴なる存在の真の愛に気づいて頂きたいと思います。

- UT

■■ もっと探索・リンク・入会ご案内

◇ 水波霊魂学 - 霊を知って人を知る
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■■ あ と が き 

「性質の良い幽気は幽体に安心をもたらし、神霊に対する信仰心を強める事に役立っていた。強い信仰を持つに至った霊魂達は、自然に対立しなくなり、念を出し合う事もなくなっていたのである。」

「二本足の霊魂」からの抜粋です。

霊魂学に出会った頃は、「いい人」論から抜け出せない自分との葛藤がありました。「いい人」が、死後苦しい世界に入るのはおかしい、理不尽であるなどと、今思うと恥ずかしい、ナイーブというか高慢というか、霊的なことなど何もわかっていない素人だったのです。

今に至っても、なぜこんなに素晴らしい人が、霊的なことを信じないのだろう、なぜこんなに世のため人のためと頑張っている人が、神や霊魂を否定するのだろう、などと、人間レベルの善や理想を霊的世界の法則に照らし合わせて戸惑うことがあります。

霊魂学は難しい、それはそうなのですが、世の中に発信し続けてきた数多くの言葉の中心にあるのは極めてシンプルなメッセージです。

幽体を鍛え、成長させる、幽体オーラを輝かせる。これに尽きるのです。

まだそれに気づかない人々のためには、性質の良い幽気に接触する機会を提供する。地上により多くの良い幽気が降ろされるように尽力する。

遠回りのように感じることがあるかもしれないけれど、一番の近道、どころか、奇跡の超特急、そしてそれを可能にするのは、目覚めた人間が高級霊魂方の力を受けて行う霊的トレーニングの実習なのです。

では今回は、これにて。

あなたの心に、新しい風が吹きますように、と願って。

また次回、お会いしましょう!

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